諸説あります

カスカス備忘録

マウント人間は薄っぺら

「マウントをとる」とは、相手よりも上のポジションをとり、優位性を自慢したり威圧的な態度をとったりすることです。自分が優れていることを、相手に認めさせたい人が、資産や社会的地位、子どもの学校などを自慢します。

この自慢により、自分が優れていることを認めさせ、優位に立とうとするのです。優位に立ち、相手に認めさせようとする行動をマウントと言います。

引用 「マウントをとる」の意味とは?マウンティングする人の心理&特徴を解説 | Smartlog

 

どこからをマウントと捉えるのかは人それぞれだよね。閉塞的な鍵付きSNSで○○したとか○○買ったとかいう報告をするだけで「マウント!!」と言うやつは心荒みすぎでしょう。どんだけお前の生活枯渇してんの?? 飽くまで日記帳みたいなもんだからそれは勘弁してな。

 

そんな前置きをして、まずは私が思うマウントの定義をはっきりさせたい。

私自身があまりマウントに敏感ではないので難しいところだが、求められていないタイミングで過度な自慢やら自分語りをすることはマウントだと感じる。自慢中心で会話を進める人。

 

特に前職のお客に多く見受けられた。聞いてもいないタイミングで自慢をしてくる人。お客と販売員という関係上、格下に見られがちなのだろうか。なかなか無理のあるタイミングで唐突に自慢話をぶっ込んでくる人が多かった。

 

マウントを取る人って面白いことに、あんまり自分自身の価値でマウントを取らないんだよね。例えば「俺は社長だ!」ってよりも「私の彼は社長なの!」ってパターンが多い。

(まぁ当たり前の話で、他人にマウントを取るような稚拙な人間が社会的地位を築けるわけもないんだけど)

あとはブランドね。「この鞄はエルメスなの!」つってね。知るかよバカ。マウントを取る時点で大抵ブランドに不相応な品性のかけらもないババア。お察し。

 

経験上の傾向から推測するに、マウントとは「社会から認められてない人間の見栄」だと思う。

自分自身は努力もせず、すっからかんで能も無し。しかし社会や周囲に認められたいから他人やブランドの自慢をする。そうやってマウントを取って社会から浮いていく。そしてまた認められたくてマウントを取る。この繰り返し。

 

悲しいね。悲しい。

コツコツと見えない努力をして身近な人に認めてもらえている人の方が素敵なのに、不特定多数にマウントを取って「私自身は薄っぺらの能無しで〜す!」と自ら言い広めるなんて情け無い。

どんなに着飾っても取り繕っても、自身に魅力が無い限りは心から信頼できる人なんて寄ってこないし、社会的に認めてもらうことなんて不可能だ。だって虚像だから。

 

これもマウントと呼ぶのだろうか?

オープンなSNSに恋人との詳細を書き連ねるやつ。私的にはそんなに恋人と上手くいってないん? って心配になるよ。

満ち足りていないから美しき思い出や上澄みだけを掬い上げて取り繕って晒している。満ち足りていれば、 わざわざ人目に晒してまで羨望とか嫉妬とか欲しくないよね。幸福感だけでお腹いっぱいだもん。まだ足りないから羨望や嫉妬で満たされたいんだろうな。

 

……

 

もしかして、こうやって意見することもマウントになるのかな? どちらかというとロジハラ?

 

便利な言葉が増えていく中で、自分の思ったことを「ムカつく」「うざい」で片付けないで言葉で紐解いていくのが私の最近のブームになりつつある。

 

自分の頭で考えなくなったら終わり。それこそ薄っぺら人間。